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スタッフ紹介

スタッフ紹介

ミルバン 牧  (Maki Milburn)


Director / 代表
長崎市生まれ、主に神奈川育ち。6〜11歳までイギリス・ウェールズとシンガポールに在住。日本大学藤沢高校、中央大学総合政策学部 国際政策文化学科卒業。「牧」は下の名前で、よく名字と間違えられたり、性別を間違えられる。父親が牧場の馬や羊のようにのびのびと名付けてくれ、地球の裏側のカナダまで飛び出す。幼少期から社会人まで父親と自分自身の転勤等で、日本国内も神奈川、埼玉、愛知、滋賀、広島と移動することが多く、環境の変化に対する適応力が求められた、他と違うということで自分のアイデンティティーについて悩む。その違和感を乗り越えるために苦労したことも多かった分、得るものもあり、現在に至る。
クラシックバレエ歴12年、少林寺拳法2段、現在はズンバやウォーキングが趣味。

小学5年生で帰国後は周りにどう合わせるか、帰国子女である自分とどのように向き合うかと悶々とした数年を過ごす。7つ下の妹が一人いるからか、小さい子どもが好きなので中学生頃まで保育士を目指す。高校受験で第一志望の高校に落ち、月を見上げながら世の中うまくいかないこともあると悟る。しばらくやる気が起こらなかったり、長く反抗期もあり、過干渉の母親との関係もお互いに悩んでいた時期もあり。帰国子女として日本で違和感を感じていた経験から、異文化理解や国際理解教育などについて学びたいと進路を変更。中高生の保護者の方とやり取りしていも、自分自身も順調だった訳ではないので、その状況を伝えることもある。七転び八起き。

高校在学時に校内の弁論大会で自分の経験や歴史認識をテーマに発表し、最優秀賞を2年連続受賞、付属高校のスピーチコンテスト3位入賞。また神奈川県の企画に応募し、高校生ピースメッセンジャーとして選ばれ、ニューヨーク国連本部を訪れる。

大学では帰国子女のイメージとギャップをテーマとして追求し、卒業後は民間の教育関係企業にて、営業や中高生の学習指導、英会話教室の運営に携わる。中高生対象の部署では学習指導だけでなく、進路指導やカウンセリング、保護者からの相談にも対応。

2005年より、ノバスコシア州ハリファックス在住。現地での貿易事務の仕事を経て、NSISPより日本人留学生カウンセラーの委託を受ける。それ以外にも、留学生やワーキングホリデー、日本人移民の方から、現地でのサポートや緊急時通訳、カナダ国立映画協会(NFB)から翻訳依頼を受けたり、帰国子女や不登校になってしまった生徒の家庭教師やカウンセリング、ホームステイの受け入れなども行う。

学生時代からの家庭教師経験や卒業後も教育関係に関わっていたことから、ハリファックスに移住してからも、カナダ人の中学生や社会人への日本語の家庭教師、ハリファックスの補習授業校でも講師をする。自分の子どもたちは補習校に入学してからは、運営としてボランティアで9年関わる。またノバスコシアの人々に日本のことを知ってもらうためのボランティアなど、ノバスコシア州やハリファックスの地元のコミュニティと関わりながら活動。

2児の母親としても、有志で未就学児のプレイグループを企画し、毎週集まって同世代の子どもたちと手遊び歌や本読みを通しての日本語維持のための活動なども行う。祖父が長崎の被爆者であったので、被爆3世として、ライフワークとして、ハリファックスの図書館での平和の折り鶴のイベントの手伝いや日本人補習校でも平和教育を行い、集まった千羽鶴を長崎原爆死没者追悼平和祈念館に寄贈。

日本の会社で同僚だった、「初めまして。ミルバンと申します。」と名乗ったノバスコシア州出身の夫がと縁があり、日本で結婚した後、3~5年カナダに住んでみようと引っ越し、18年目に突入。夫はシドニー出身とのことで、オーストラリアのシドニーしか知らなかったため、オーストラリア英語っぽくないなと思っていたら、カナダにも同じ地名があり、ハリファックスもノバスコシア州もそれで初めて知る。遠い記憶で、1995年のサミットがハリファックスで開催され、当時の村山元首相が訪れたというのを思い出す。高校時代の先生に会った時に、ハリファックス大爆発があったところだなと言われ、さすが世界史の先生と思いつつも覚えておらず、世界史の教科書で小さく記載があったことを発見。

私自身、小学校も3回転校し、国際結婚をするつもりもサラサラなかったのにしたり、どこででもしなやかに逞しく生きていければと、現在に至る。ここ数年の間に、夫の両親が他界し、実家の親も介護が必要で、コロナ禍の中一時帰国したり、当たり前が当たり前でなくなることが身に染みる。思春期の自分の子どもたちに振り回されながらも、一日一日に感謝。

人と関わることが好きなので、留学エージェント、教育コンサルタントとしての今の仕事はとてもやりがいがあります。10年以上エージェントをしていても、毎年新たな課題や困難がありますが、乗り越える方法は絶対ありますし、いくつになっても勉強だと実感しています。少しでも私の経験や知識が誰かの役に立てば幸いです。

まずは人の目を見て挨拶、そして「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えればどこででも生きていけますし、仲間や友達もできます。そして、周りも助けてくれます。誰かが困っていたら、逆に声をかけたり、手助けをしてください。失敗することも誰でもあります。でも、次に同じような失敗をしないためにはどうすればいいのかを考えれば、人は成長します。

留学の目的で、英語が話せるようになりたり、海外で仕事をしたいなど、それぞれあるかと思いますが、英語の習得以上に、先入観を持たずに周りの人と接したり受け入れること、相手を敬うこと、そういった生きる力をぜひ身に付けてほしいです。留学や海外生活はいいことばかりではありません。人生も同じです。ただ、だからこそうまくいった時は嬉しいですし、困難を乗り越えた時は自身がつきます。そういった人としての成長に関わっていけることはとても価値あることだと感じています。
ノバスコシアやハリファックスへの留学にご興味がありましたら、どうぞお気軽にお問合せ下さい!

ミルバン ネッド  (Ned Milburn)

Adviser
ノバスコシア州ケープ・ブレトン島シドニー生まれ。
シドニー・アカデミー高校卒業。セント・フランシスコ・ザビエル大学ジャズギター科卒業。

ジャズ、クラシックギター演奏者を経て、モンテッソーリ教育の私立学校やスズキメソッドで音楽を教える。以前から空手や日本に興味があったことから、その後5年間広島県福山市にて、英会話講師を経て外国人講師のマネージャーとして英会話学校、私立高校で勤務。
30歳近くになってから、ほぼ独学で日本語を学び、日常会話だけでなく、基本的な漢字の読み書きなども体得し、ノバスコシア州でお会いする日本人の方々に驚かれることが多々ある。秘訣は「本を読むこと」「分からないことはそのままにしないこと」「努力」。

本名はエドワード・ニコラス。エドワードのニックネームはエドやエディというのがあるが、母親が不良っぽい響きだからとネッドという通称に。あまりメジャーではないため、よく電話などで聞き間違えられたりする。本人曰く、映画や本のオタク系のキャラに多いらしい。漢字名は日本でお世話になった方からの命名で「根土」。5人兄弟の5男!

ハリファックス在住。在モントリオール領事館や大日本水産会からの依頼で、翻訳や通訳、東部カナダの日本語スピーチコンテスト審査員などの経験もあり、表千家の茶道も習っていた親日家。知唐流空手2段。趣味はバイク(ホンダのST1300が愛車)と親父ギャグ。

現在、ハンドメイドのギター職人でもあり、様々なギターの修理を行うとと同時にギター講師としてレッスンを教えたり、小学校や幼稚園、語学学校などで音楽やギターの講義を行うこともある。ボランティアで、毎週土曜日に空手の子どものクラスの指導もしている。

ノバスコシア生まれのノバスコシア育ちではあるものの、モントリオール、トロント、日本と他の地域にも計12年住んでいたので、異文化理解や海外生活の大変さの経験もあり、日本でも新任外国人講師の研修も担当。日本語や日本のことにも詳しいので、留学生ととも直接日本語でも英語でも希望に合わせて、コミュニケーションが可能。2人の祖母や両親も高校の元教員や教頭で、4人いる兄のうち1人は、ケープブレトン島の高校の現役の物理の教師で、NSISPの7つの教育委員会の責任者の2人は両親の教え子でもあり、ノバスコシア州に密着。移民の国カナダらしく、フィンランドとウクライナのクォーターで半分はスコットランド、イギリス系。

父方の祖父が2歳の時に家族とウクライナから移住してきたので、「バリッシュ」というのが本当の名字だが、当時イギリス系やフランス系でないということで名字で差別をされることもあったそうで、16歳の時に家出。アルバータ州のエドモントンから東に向かって汽車に乗り、カナダを横断し、東端のケープブレトン島のグレース・ベイに辿り着き、途中で拾った身分証明書の名字が「ミルバン」だったという、実は何の縁もゆかりもない名字で、そのまま4世代続いている。

日本も戦後混乱の時期があったり、多くのヨーロッパからの移民が開拓民として海を渡って、大西洋側の玄関口であるハリファックスの港からカナダ中に広がっていったり、昨年はロシアのウクライナ侵攻のニュースがあり、心を痛めている。平和な世の中になりますように。

村田 直樹  (Naoki Murata)

Coordinator / 留学コーディネーター

長野県飯田市生まれ、新潟県新潟市(旧新津市)育ち。公立高校で機械科の教員をしていた父親の転勤(正確にはJICAのプロジェクトに専門家として参加)で、10-12歳を中東のサウジアラビア王国の首都リヤドで過ごす。その間に旅した国は約20カ国。五感と好奇心をフル稼働させた充実の海外体験が、「世界は広くておもしろい」「いつかまた海外へ」という強い思いを育み、その後の学業やキャリアの原動力となる。

中央大学法学部政治学科に入学後、弁論部と国際政治ゼミの活動をベースに外務省や商社でのインターンを経験。卒業後は、三菱電機・リクルート・スタートアップ企業にて、法人営業・経営企画・管理職として13年勤務。リクルートでは進学事業に所属し、「スタディサプリ」の事業推進と法人営業に従事。「学びたい、学んでよかったと思える人を増やす」を掲げるスタディサプリチームの一員として私立大学の学生募集をサポートする中で、自分自身の好奇心・学びたい気持ちを抑えきれなくなり、海外留学を決意。当時を振り返ると、一番上の子(長女)が小学校5年生で周囲が中学受験に真剣に取り組み始めていた時期だったり、また自分自身がサウジアラビアで刺激を受けた年齢と彼女の年齢が重なっていたことも大きく影響しました。当初はドイツ・ベルリンへの移住を計画しており実際に現地に行って確認までしたものの、コロナ禍での紆余曲折を経て、2021年にカナダ・ノバスコシア州ハリファクスへ家族5名で親子留学。語学学校(CLLC)、州立カレッジ(NSCC)、ハリファクスの現地企業勤務を経て現職へ。趣味はランニング。現在は妻・3人の子どもたちとハリファクスで暮らす。

カナダは多文化共生社会です。大西洋に囲まれた、水と緑の豊かなノバスコシア州も例外ではなく、様々なバックグラウンドを持った人々が共に暮らしています。ノバスコシア州に留学するということは、人口100万人という小さなこの州のどこかのコミュニティに所属し、おおらかでたくましい(方が多いように私は思います)メンバーと心を通わせながら日々を過ごすということです。自分自身が気に入っているこの暮らしを他の誰かに共有すること、そしてそれを喜んでもらえるということは、何にも代えがたい喜びです。「何かの役に立つ何か」を追い求める忙しい生活から一歩離れて、自由・尊厳・寛容さとは何かを考える深く豊かな経験になること請け合いです。一緒に楽しく学びましょう!